通勤難民 その1

今回の大地震によって未曾有の被害を思うと書く事がはばかれるのですが
その事を知らなかった時点の事として書きますので、どうか割り引いて読んで下さい。

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丁度、地震が起きる前リフレッシュルームでお茶していた。
「あっ!地震」と言いだしてからどんどん揺れが大きくなり目の前のレールに乗ったキャビネットがガシャンと音を立てながら行ったり来たり立っていられない。

耐震ビルと言いながらも22階で隣の揺れるビルを見ながら船酔いみたいな気持ち悪さと高さと何時までも続く揺れに本当に怖かった。

地震が起きてからは仕事どころではない。携帯が繋がらない。まず家に会社から電話。取りあえず繋がった。
そして友達に頼まれ友達のおかーさんにも電話。
無事を確認<ひとまず安心>

窓の外お台場付近から黒煙が・・・火事?でも火は見えない。

いつまでも続く余震。机の下に潜る。会社からヘルメットが配られた。

そして集団帰宅。私は横浜方面6人で帰る事に。

まったく携帯が繋がらない。帰るのを止める人もいましたが金曜日って事もあるし私自身も兎に角家に帰りたかった。
丁度、6時10分に会社を出る。そして8時半に大森。
この間民族の大移動のように帰る人が右往左往。

9時に食事を終え、<これもかなり限定されたメニューだったけど私達が出る頃には食事もなくなった>
再出発。蒲田で我が社の人とばったり!<保土ヶ谷から歩いて来たとの事>この時は凄い偶然でひとしきり話し楽しかった。

その後、新聞社の人から取材を受けた。
どんな気持ちで歩いているのかとか靴はどうしたかと・・・
正直、この時もまだ楽しかった。

そして10時47分約4時間で多摩川を渡り川崎に突入。
川崎で一人の女性を駅まで送り5人に(旦那様が迎えに来る)

もう一人の女性がギブアップ。でもどこのホテルもネットカフェ、漫画喫茶も満室。
警察に行ったみた。避難場所を教えてくれた。それがなんと富士見中でした。そこに着いたのが12時少し前。
残りの男性3人と私。
体力的にはまだ大丈夫だけどこれから3・4時間歩いても夜中になるから
私も富士見中で一晩過ごす事にした。